中世のとあるヨーロッパの町。
旅人がある町を歩いていると重たいレンガを積んで働いている3人のレンガ職人に出会いました。
そこで旅人は「何をしているのですか?」と尋ねました。
3人のレンガ職人はそれぞれ次のように答えました。
1人目のレンガ職人
「そんなこと見ればわかるだろう。親方の命令で“レンガ”を積んでいるんだよ。」
2人目のレンガ職人
「レンガを積んで“壁”を作っているんだ。この仕事は大変だけどお金が沢山もらえるんだ。」
3人目のレンガ職人
「レンガを積んで、後世に残る“大聖堂”を造っているんだ。この仕事ができることを誇りに思っている。」
さて、3人の10年後です。
1人目のレンガ職人
10年前と同じように親方の命令でレンガを積んでいました。
2人目のレンガ職人
レンガ積みよりお金をもらえる仕事に就きましたが、危険を伴う教会の屋根の上で仕事をしていました。
3人目のレンガ職人
施工管理者を任されるようになり、出来上がった大聖堂には彼の名前が付けられました。
「3人のレンガ職人」はとても有名なお話なので知っている方も多いと思いますが、私はこのお話が大好きです。(レンガを1つずつ積み上げて聖堂をつくるという感じが特に好きです。)
3人のレンガ職人は「レンガを積む」という同じ仕事内容でもらえるお金も同じでした。
違いは「何故、何のために働くのか?」という目的のみです。
1人目のレンガ職人は、親方の命令で親方に叱られないように仕事をしています。
2人目のレンガ職人は、高い賃金をもらうために仕事をしています。
3人目のレンガ職人は、後世に残る大聖堂をつくること=社会に貢献するために仕事をしています。
3人目のレンガ職人の働き方はとてもステキで理想的だと思います。
ですが、実際に私が「何故、何のために働くのか?」を問われると、1人目~3人目の職人を行ったり来たりしているのが正直な所です。
「法令に違反しないように」「周りの雰囲気をみて」「相手の気分を害さないように」
「生活費のために」「子どもに習い事をさせるために」「好きな洋服を買うために」
「子ども達の将来のために」「地域の今後を考えて」「社会に貢献できる人を育てるために」
こんな感じで「何故、何のために働くのか」という「動機付け」をその時々によって変えながら、働くという行動を保っています。
「動機付け」とは目的や目標に向けて行動を起こす時の心の過程で、モチベーションとも言い換えることが出来ます。「動機付け」には「外発的動機付け」と「内発的動機付け」があります。
「外発的動機付け」
「ご褒美や罰則」など外からの働きかけで行動に繋げる動機付け。一時的な動機づけで長続きはしない。
・1人目のレンガ職人「親方の命令で(叱られる)」→罰則
・2人目のレンガ職人「お金が沢山もらえる」→ご褒美
「内発的動機付け」
「好奇心や達成感」など自分の中にあるものから行動に繋がる動機付けで、自ら目的をもって行動をし続けることができる。
・3人目のレンガ職人「誇りに思っている」
この「動機付け」は子育てやビジネスでも応用されていますが、まずは「外発的動機付け」からのスタートでやる気と行動を引き出すことができます。
①「おもちゃを片付けないとおやつをあげないよ」
②「おもちゃを片付けたらおやつ食べようね」
この2つの言葉かけは「おもちゃを片付ける行動」に対する外発的動機付けをしています。
①は「〇〇しなければ〇〇できない」という罰則の声掛けで、②は「〇〇したら〇〇できる」というご褒美の声掛けになります。
同じ外発的動機付けですが②を使うことによって内発的動機づけがしやすくなります。(危ない事、人に大きな迷惑をかけることに関しては時には①も必要だとは思います。)
外発的動機付けは長続きはしないので、内発的動機付けに繋げることにより好奇心や興味関心を持って行動し続ける=「試行錯誤できる人」になることができます。
今回は私の大好きな「レンガ職人」から動機付けについて少しだけ紹介しました。
内発的動機付けについてはまたお話していきたいと思います。